沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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272)AIに負けない力

最近、日課の就寝前読書タイムで、
「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」
(新井紀子著、東洋経済新報社)
という本を読んだ。

ホントに「目からウロコ」という感じで、
知的好奇心が刺激される内容だったし、
「AI、恐るるに足らず!」
という確信を得た次第だ。

要するに、
AIなるものは、どんなに進化しようと、
結局、コンピュータ(計算機)に過ぎない
ということなんだよね。

つまり、計算機である以上、
「数値」しか認識できないし、
「プログラム」しか実行できない
というワケ。

数値の設定やプログラムの設定は、
もちろん、人間にしかできない。

当然、人間の価値観や感情が複雑に絡む。
人間の価値観や感情に合致するように、
数値やプログラムが設定されるからね。

そして、その価値観や感情は、
緻密な数値化自体が不可能だし、万が一、
AI自身が価値観や感情を持ったところで、
人間の価値観や感情と一致しなければ、
人間社会にとって役に立たないばかりか、
むしろ、有害でしかない。

故に、AIが価値観や感情を持つ意味はない。

結果、人間の価値観や感情に関する仕事は、
最後まで人間に残される領域となるワケだ。

で、人間の価値観や感情に関する仕事とは、
「価値創造」と「問題解決」
に関する仕事ということになる。

近時、AIに絶対にできないこととして、
「イノベーション」と
「コミュニケーション」
の2つが声高に指摘されている。

まあ、ざっくりと言えば、
「価値創造」の結果が「イノベーション」
「コミュニケーション」の結果が「問題解決」
なんだろうから、言わんとする趣旨は同じだ。

だから、我々人間がやるべきことは、、
この2つの領域で活躍できる「高度な能力」
を身に付け、子ども達に教育していくこと。

最近、「自動翻訳」ツールが進化しているが、
辞書そのものはインプットできたとしても、
どの訳語を的確に使うべきかは、本来、
その「文脈(=意味)」を理解しないとムリ。

でも、AIには「意味を理解する力」は無く、
やっている作業は「パターン認識」である。

人間では到底不可能な
「数百億レベル」の翻訳例文をインプットし、
最も近いパターンの例文を探し出して、
それを翻訳文としてアウトプットしているだけ。

最近、話題になった
富山県の老舗どら焼き店「中尾清月堂」の広告。

さて、皆さんは、下記の広告文が読めるだろうか。

みまなさに だじいな おらしせ。
こたのび なかお せいげどつう が
ぜたっい に ばれない ように
どやらき の リニュアール を
おなこい ました。

これは、単語を構成する文字を並べ替えても、
人間が問題なく読めてしまう
「タイポグリセミア現象」
というものを利用した巧みな広告戦略だ。

上記の広告文は、よく見るとメチャクチャだが、
我々の脳は、普通に、

皆様に大事なお知らせ。
この度、中尾清月堂が絶対にばれないように
どらやきのリニューアルを行いました。

と変換して読めてしまう。
ところが、AIだとそうはいかない。

AIは、
同じものは、同じようにしか、
違うものは、違うようにしか、
認識できないのである。

上記の広告文を、グーグル翻訳で英訳すると、

An obscenable sunny day.
Thank you for your understanding.
Do not let it fall asleep
How to make a Rignoire
I was hurt.

という英訳文がアウトプットされた。
そして、この英訳文をさらに和訳すると、

ふさわしくない晴れた日。
ご理解いただきありがとうございます。
それが眠らさないようにしてください
リグーアを作る方法
私は傷ついた。

という和訳文がアウトプットされた。
もう、どうにも訳の分からない文章だ。

これが、AIの現在の実力。
そして、どんなに進化しても、結果は同じ。
何故なら、計算機である以上、
入力自体が間違っていれば、
出力が間違ってくるのは、当たり前だから。

では、次の3つの文章はどうだろうか?

私は、昨晩、岡山と広島に行った。
私は、昨晩、岡田と広島に行った。
私は、昨晩、岡山とブラジルに行った。

これを、グーグル翻訳で英訳すると、

I went to Okayama and Hiroshima last night.
I went to Okada and Hiroshima last night.
I went to Okayama and Brazil last night.

という英訳文がアウトプットされた。
つまり、AIは、いずれの文章も、
「同じパターン」
の文章だと認識したのである。

でも、人間の脳は、そうは解釈しない。

1番目の文は、確かに、
「岡山県と広島県に行った」
という意味だと解釈するであろうが、

2番目の文は、岡田県や市が存在しないので、
「岡田さんと一緒に広島県に行った」
と解釈するのではなかろうか。

そして、3番目の文は、普通の感覚では、
一晩で岡山県とブラジルには行けないので、
「岡山さんと一緒にブラジルに行った」
と解釈するはずである。

そう、上記3つの文章を人間が英訳すれば、

I went to Okayama and Hiroshima last night.
I went to Hiroshima with Okada last night.
I went to Brazil with Okayama last night.

ということになるのだろう。

このように見てみると、
違うものでも、時には同じように解釈し、
同じものでも、時には違うように解釈できる
人間の脳というのは、
ホントに素晴らしい超高性能装置なんだよね。

我々の仕事の中で、
記憶力・計算力・検索力・解析力
といったことが要求される
「情報処理業務全般」については、
ほぼ全てAIに駆逐されてしまうであろう。

でも、人間の価値観や感情に関する
「価値創造」と「問題解決」
の領域については、絶対に駆逐されないはず。

例えば、AIが得意な検索にしても、
「近くの美味いイタリア料理店」と
「近くのまずいイタリア料理店」
の検索結果は同じになってしまうそうだ。

AIは、意味を理解しないので、
「美味い」と「まずい」の違いが分からない。

そして、「美味い店」の検索データは、
大勢の人の検索で蓄積されていくが、
「まずい店」を検索する人はいないので、
検索データ自体が形成されない。

すると、AIはデータに無いことは、
「無視」することにしてしまうのだ。
結果、データが充実している
「美味い店」と同じ結果となるワケ。

でも、「まずい店」を探したら、
「美味い店」が紹介された、
というのでは、ツールとしてはダメ。

結局のところ、人間の目的に応じて、
「いかなる条件で検索すべきか?」
は、人間の脳で決定するしかないのだ。

要は、AIに勝つための第一歩は、
「国語力」
ということなんだよね。

冒頭で紹介した本の最大のメッセージも、
「教科書を読める力」
を身に付ければAIに負けない!ということ。

逆に言うと、
「教科書を読めない人」
は、AIに駆逐されてしまうということ……。

確かに、そのことは日々実感する。
実務修習で訪れる司法修習生(法曹の卵)も、
それなりの法律的文章を書いてもらうと、
ほぼほぼ、その人の能力が分かるんだよね。

まあ、プロであるはずの弁護士でも、
たまに、ヒドイ文章を書く人がいるが……。

我々弁護士の仕事というのは、
「言葉」で相手方や裁判官を説得しつつ、
依頼者が望む「問題解決」を実現する仕事。

AIには無い「国語力」。
これこそが、社会で生きる力そのものだね。