沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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28)あれから15年…

 15年前の今日、日本中が忘れることのできない「阪神・淡路大震災」が発生した。
 大都市直下を震源地とする初の大地震であり、震度7の「激震」を初めて記録したことでも、その被害の甚大さでも、全てが歴史に残る未曾有の大災害であった。
 
 私は、小中高を関西の学校で過ごしたので、関西出身の友人も多く、ある友人からは、「地震で飛び起きて、窓の外を見たら1階になっていた。」という話を聞いた。その友人はアパートの2階に住んでいて、地震で1階が押しつぶされて無くなってしまったという意味だ。当然、1階の住人は即死だった…。
 心底、ゾッとした。自然の恐ろしさと人間の無力さ・命のはかなさを感じずにはいられなかった。

 私が直接知る人で阪神・淡路大震災で亡くなった方はいらっしゃらなかったが、あれから15年、ご遺族や当該地区の方々のご苦労は筆舌に尽くし難いものであったろう。
 改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。
 
 それにしても、1995年というのは、日本中がまさに「震え上がった年」であった。阪神・淡路大震災のわずか2ヶ月後には、あの忌まわしい「地下鉄サリン事件」が発生したからだ。
 阪神・淡路大震災が、日本史上に残る大天災であるならば、同年3月20日に発生した地下鉄サリン事件は、日本史上(いや世界史上か)に残る大凶悪テロ事件であった。

 地下鉄サリン事件発生の直後、私は、第49期司法修習生として法曹への道を歩むこととなった。
 通常であれば、浮かれた気分で修習生活のスタートを切るところであったろうが、当時、司法研修所も「サリン散布の標的の一つ」にされているという噂がまことしやかに駆けめぐり、研修所全体が一種独特の緊張感に包まれていたことを覚えている。

 法曹という「社会の病理現象」を是正すべき職業に就こうと意気込んでいた矢先、日本全体が「未曾有の病理現象」に巻き込まれ、暗澹たる気分に陥っていたことは、修習生一人一人に尋常ではない衝撃を与えたことであろう。
 私も、もちろんその一人であった。
 漠然とではあるが、「社会正義の実現」や「被害者の人権救済」といったことにこの身を献げていこう、と青臭いまでに決意したものだ。

 然りとて、悪いニュース一色でもなかった。その後の世界経済を良い意味で激変させた出来事もあった。そう、「Windows 95」の発売である。
 日本では、1995年秋に発売となり、空前の爆発的大ヒットを記録した。
 今でも、Windows 95は、20世紀最大のヒット商品と言われているらしい。
 Windows 95の登場によって、パソコンが劇的に使いやすいものに変わり、急速に各家庭に普及していくこととなった。そのことが、後のインターネット社会発展のインフラを築いたと言ってよい。
 パソコンの普及とインターネット社会の到来がなければ、もはや「成熟」段階を迎えてしまっていた世界経済は、沈滞もしくは衰退していくばかりであったのかも知れない。

 そう言えば、私が修習生活をスタートした頃は、みんな「ワープロ専用機」を使用していたものだ。今では、実物を見る機会すら無くなったが…。いやいや、当事務所には、ワープロ専用機の現役愛好家もいたっけ(笑)。
 1つ後輩の第50期司法修習生がみんな揃って「ノートパソコン」を持参しているのを見て、時代の境目に自分がいることを実感したものだ。

 そして、何よりも、1995年は、私個人にとっても、その後の人生を決定づける大変重要な年となった。
 司法修習生として法曹への道を歩み始めたのとともに、生涯のパートナーとなる妻と運命的(?)な出会いを果たした。
 さらに、今に続く仕事のパートナーである早川・尾西両弁護士とも出会うことができた。早川・尾西両弁護士は、もともと「盟友」で、当時は、同じビルの隣同士にそれぞれの個人事務所を構えていらっしゃった。
 早川弁護士は、私の実務修習の指導担当弁護士で、弁護士としての基礎を培って頂いた恩人である。修習中に、「今度、複数の個人事務所が集まって共同事務所を立ち上げるので、その一員として加わってくれないか。」という温かいお言葉を頂戴し、早川弁護士の人柄に惹かれたこともあって、私は同弁護士のもとでお世話になることを「即決」した。
 当時、私は、検事になるか弁護士になるか相当迷っていた時期だったが、同弁護士からの有り難いお誘いにより、その迷いも一気に払拭して、弁護士として生きる道を選択したのであった。

 1995年。
 本当に、いろんなことがあった年だ。日本にとっても、私個人にとっても、決して忘れられない年である。
 あれから15年も経ったのかと思うと、感慨も一入である。

 当時の、私の純粋(?)な決意が今の仕事で十分実現できているかと言えば、それは全く心許ない。
 だが、今日、改めて、初心を思い出し、決意を新たにすることができたことは、大変有り難いことであった。