沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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190)利己的で何が悪い!

間もなく、終戦記念日。
今年は、終戦から70年となる節目の年。

ただでさえ、戦争や平和に対する特別な思いを深めるべき年であるが、
とりわけ今年は、安全保障関連法案をめぐり、国民全員が、様々な思いを抱いているはず。

8月4日に放送された「戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争」というテレビ番組によれば、10代後半から30代の男女に対する街頭インタビューで、「8月15日は何の日?」との質問に46%が答えられず、「太平洋戦争で日本の同盟国はドイツとどこ?」との質問に50%が答えられなかった、とのこと。
中でも、日本の同盟国を「アメリカ」と答えた者も多かったそうだ。

戦後70年ともなれば、国民の大半は、戦争の実体験を持たない。
加えて、上記のような無知な若者が増えつつあるという現状に鑑みれば、近時の安倍政権の暴走ぶりは、国民に戦争や平和を真剣に考える絶好の機会を与えてくれたとも言えよう。

そんな中、一人の若手政治家の「つぶやき」が炎上騒ぎとなっている。
つぶやきの主は、自民党の武藤貴也議員(36歳)だ。
炎上した彼のツイッターでのつぶやきは、下記のとおり。

(引用はじめ)
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。
(引用おわり)

ハッキリ言って、「???」という内容だ。
まあ、炎上するのも当然か。

利己的個人主義の反対は、利他的全体主義ということになろうか。
で、彼がどんな思想の持ち主なのか、さらっとHPやブログを覗いてみると、まあ、バリバリの全体主義者のようだね。

要するに、「国民は、お国のために、一人残らず、率先して命を捧げるべし!」というのが彼の信条ということ。

彼のブログによれば、日本国憲法の三大原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)ですら、キッパリと否定し切っている。
例えば、こんな感じ。

(引用はじめ)
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
(引用おわり)

特に、最重要な原理である「基本的人権の尊重」については、驚くべき発言の連発だ。

(引用はじめ)
私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。
(引用おわり)

なるほど、そういうことか。
彼の持つ基本思想が、多くの国民が共有する「根本的価値観」と全く相容れないが為に、彼の言葉は「???」だったんだよね。

もちろん、彼がどういう個人的思想を持とうが自由だ。
だが、彼は現役バリバリの国会議員なのである。
彼の中では、憲法99条は如何なる意味を持っているのだろうか?

(憲法99条:憲法尊重擁護義務)
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

まあ、彼の思想の偏りが明らかになった以上、賢明な有権者によるジャッジ(=選挙による落選)を期待するしかあるまい。

彼の思想については云々する気にもならないが、彼は、戦時下の日本国民が、みな「心から喜んで、お国のために命を捧げた。」などと本気で思っているのだろうか?

当時は、国にとって不都合な情報は全てカットされ、少しでも反体制の(=まともな)意見を言えば、「非国民」「売国奴」として官憲に密告されてしまうような監視統制社会である。
多くの賢明な国民は、戦争が間違いであることを重々承知の上で、自分や家族の身を守るために、不本意な決断を強いられていたのであり、そうでない国民も、国の恣意的な情報統制の下で、完全に「洗脳」されていたに過ぎない。

彼が本気で全体主義国家を礼賛しているのだとすれば、大馬鹿者だ。
彼のような政治家が、与党の中に存在すること自体に、強烈な戦慄を覚える。

ところで、彼は、「お国のために命を捧げない者は利己的だ。」と言う。
だが、かつての大日本帝国は、利己的理由により、東アジアをドンドン侵略していったワケであり、彼が礼賛する全体主義国家は、彼が毛嫌いする「利己的国家」に他ならない。

そもそも、「利己的=悪」という図式自体が、私は間違いだと思う。

現在、自然界の中で、生き残って繁栄している全ての生物は「利己的」である。
仮に、利他的な生物種が存在したとしても、その利他性ゆえに、利己的な生物種によって滅ぼされてしまうし、利他的な生物種の中に、突然変異で利己的な個体が誕生すれば、その利己的な個体の子孫がドンドン繁栄し、生物種全体が利己的に変貌していくのである。

人類も、その利己性ゆえに繁栄し続けてきたワケだ。
人類が平和を祈願するのも、自分や家族が安心して暮らせる社会を望めばこそ。
つまり、平和主義の根幹には利己性があるのである。

一見すると、利他的と思われる行動であっても、結局は利己的なのである。
自然界においても、「互恵的利他行動」というものがある。
これは、「後で見返りがあると期待されるために、ある個体が他の個体の利益になる行為を即座の見返り無しでとる利他的行動」である。

例えば、チスイコウモリの例。
チスイコウモリは、毎晩、動物の血を求めて洞窟から飛び立つが、集団の20%の個体は、全く血を吸えないまま夜明けを迎えるのだそうだ。彼らは、代謝の速度が速いため、血を吸えなかった個体は、すぐに餓死してしまう。早いものだと、次の晩まで命が持たない個体もいるそうだ。
じゃあ、何日分も生き延びられるようにタップリ吸ったらいいじゃないか、とも思える。
だが、血を吸い過ぎると、今度は飛べなくなってしまうので、2日生き延びられる程度の血しか吸えないのだとか。
そこで、彼らがやる行動は、腹一杯の個体が、空腹の個体に対して、「血を分け与える」ことなのだ。この行動は、血縁同士でなくても、実行される。
まさに、自分の犠牲(餓死までの時間を早める)と引き換えに、他者の利益(餓死を免れる)を図る行為であり、典型的な利他的行動である。

要するに、自分がいつ「血を吸えない20%」に入ってしまうか分からないワケであり、そうなった時には、他者から血を分けてもらえないと死んでしまう以上、普段から、積極的に血を分け与えるという「善行」を積んでおかないと、いざという時に仲間から助けてもらえないという話。

人間界においても、「情けは人の為ならず。」との諺がある。
利他的な行動は、巡り巡って、自分の利益になるということだ。

人類は、利己的であるが故に、「お互いに助け合う社会」を築き、「社会の調和を乱す者を排除するシステム(=法と懲罰)」を作り上げ、今日まで繁栄し続けてきたのである。

この世に「利己的でない人間」なんて存在しない。
利他的に見える行動の裏には、意識的であるか無意識的であるかはともかく、何らかの利己的理由(見返り)があるのである。
人によって、それが、お金だったり、愛情だったり、社会的評判だったり、自己満足感だったりするワケだ。

私は、自分や家族が何よりも大切な利己的人間だ。
だからこそ、私の住む社会は、みんなが幸福感に満ちた平和な社会であって欲しい。