沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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141)ルールは何のため?

 昨日、下の子(小学5年)の授業参観に夫婦で行ってきた。
 授業は「道徳」で、テーマは「きまりについて考える」というもの。

 先生が、児童たちに「学校の廊下や階段をみんなが好き勝手に歩いている写真」を見せる。
 児童たちは、「廊下は右側通行しなくちゃいけないから、これは、きまりを守っていない!」と言い、「きまりは守んなくちゃダメ!この状態は残念。」と口をそろえる。

 そこで、先生は、ある新聞への投稿記事のコピーを児童たちに配布する。
 その内容は、大凡こんな感じ。

 「父が危篤との電話が入った。私は、せめて意識があるうちに病院に駆け付けたいと思い、高速道路を車で走らせた。一刻も早く着きたいとの思いから、制限速度を無視した。すると、パトカーに止められて、切符を切ることとなった。時速20kmオーバーだった。思いのほか、警察官の手続に時間を要した。結局、車から先に降りた妻が病院に駆け付けたその瞬間に父が亡くなり、車を駐車場に停めに行っていた私は親の死に目にすら会えなかった。あの時、切符を切られるという時間ロスがなければ、もう少し、警察官が迅速に手続をしていてくれれば……。もちろん、スピード違反が悪いことは分かっている。でも、法は国民のためにあるのではないか……。」

 先生は、「自分がこの人の立場だったら、スピード違反してでも病院に行く?」と問うと、「きまりは守んなくちゃダメ!」と口をそろえていた児童たちの大半が、「こんな時に交通ルールなんか守っていられない!」と言い始めた。

 先生は、「でも、みんなは、さっき、きまりは守んなくちゃダメ!って言ったよね?」とさらに問うと、児童たちは迷い始めた。

 結局、先生からの「答え」は提示されないまま、終業時間となった。

 なかなか面白いテーマであった。

 まあ、新聞記事の例でいうならば、その投稿者は、制限速度を守ってさえいれば、結果的には、お父様が存命のうちに病院に着くことができたはずだ。
 そんな緊急事態に、冷淡に急ぎもせずに手続を遂行した警察官、さらには、法制度そのものを「逆恨み」したくなる感情も理解はできるが、それは「お門違い」というもの。

 そもそも、ルールは何のためにあるのか?

 それは、我々の「自由」のためだ。

 ルールは、我々の自由を束縛するものだと誤解している者も多いが、ルールが無ければ、我々は、社会生活において、何一つとして「自由」に行動できない。

 お腹が空いたので、パンを買おうと思い、コンビニに行く。
 ここでは、客がお金を払えば、店がパンを引き渡すというルールがある。
 このルールをみんなが「守ってくれる」と信じているからこそ、客は安心して買い物ができ、店も安心して商売ができる。
 ルールが無ければ、パン一つ買うだけでも、とんでもなく「不自由」な状態に陥る。

 もっと言えば、「人を殺したら、警察に捕まって、厳しく罰せられる。」というルールがキチンと機能していなかったら、我々の社会生活は、外出するだけでも「命がけ」という戦国時代のような様相となってしまう。

 あの新聞の投稿者も、世の中に交通ルールというものがあり、それをみんなが「守ってくれる」と信じているからこそ、自宅から病院まで「車で行く」という選択ができたのだ。

 交通ルールが無ければ、車を走らせること自体、まさに「命がけ」の行為となる。

 新聞記事では、警察官や法制度への「恨み節」が多々記載されていたが、交通ルールによって「自分自身が守られている」ということへの理解が欠けていたと言わざるを得ない。

 その自分自身を守ってくれている交通ルールを自ら破り、一歩間違えば、自分や他人の命さえも危険に晒してしまう行動に自らが及んでしまっていたことに思い至るべきだ。

 もしも、自分が父親とともに天国に行くことになってしまったならば……。
 そんな息子を、父親は決して褒めてはくれまい。

 ルールをみんなが守ることで、みんなが「自由」になる。
 緊急時にこそ、肝に銘じておくべき言葉だ。

 自由という言葉は、福沢諭吉の翻訳らしいが、英語には「Freedom」と「Liberty」という別々の言葉が存在する。
 いずれも、日本語では「自由」となるが、「Freedom」は「天賦の自由」で、「Liberty」は「獲得する自由」というニュアンスの違いがある。

 つまり、「Freedom」には「自由気まま、得手勝手、傲慢」などというニュアンスも含まれるが、「Liberty」では「社会的・政治的に制約されない」という点が強調されるのだ。
 ちなみに、自由の女神は「Statue of Liberty」という。

 人が2人いるだけで、2人ともに同時に保障される「Freedom」はあり得なくなる。
 本当の意味で「Freedom」が保障されるのは、自分の「内心」と1人きりの時だけだ。

 だが、社会で完成されたルールをみんなが守っていけば、みんなに「Liberty」が保障されるというワケ。

 それにしても、なかなか奥の深いテーマだった。
 小5の頭には難しいかも知れないけど、「ルールを守ることこそ、自由への近道」ということは、国民全員が等しく自覚すべき大切なことだし、児童教育の段階からシッカリ教えていくべきだろうなあ。

 今回、先生の「答え」は聞けなかったけど、先生の「視点」も是非聞いてみたかったねえ。