沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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160)あと1歩の甲子園

7月30日。
この日、第96回全国高校野球選手権・大阪大会の決勝戦が開催された。

対戦カードは、わが母校のPL学園と大阪3連覇を狙う大阪桐蔭。

結果は、1~9でPL学園が敗れ、大阪桐蔭が、桑田・清原時代のPL学園以
来、実に29年ぶりとなる史上2校目の大阪3連覇を成し遂げた。

だが、この試合、PL学園にとっては、非常に感慨深いものがあり、ジーンと
くるエピソードがあったんだよね。

PL学園は、昨年2月に部内暴力の不祥事が発生し、昨夏の大会には出場すら
できなかった。
そして、昨年4月には当時の監督が辞任し、ずっと後任監督が決まらないま
ま、監督不在で今回の大会を迎えたのだ。

で、臨時の措置として、PL学園の「校長」自らが監督登録をして公式戦を戦
い続けてきたという次第。

この校長、野球経験は全く無い。
つまりは、「ド素人」である。
野球の超名門校としては、ホントに異常事態だよね。

そして、この校長こそ、私の高校3年間の恩師(担任教師)であり、正井一真
先生という。

専門教科は国語であり、ティーチャーズバンドなるバンドを組んで生徒達の前
で演奏していたこともある音楽通だが、いずれにせよ、完全な「文系人間」な
んだよね(笑)。

高校時代の担任の先生が「校長」になったということを聞いた時もちょっとし
た驚きだったが、体育会系の匂いを微塵も感じさせない先生だったので、名門
野球部の「監督」になったと知った時は、ホントにビックリ仰天だった。

先日、何年かぶりに、法律問題でちょっと相談したいと私に連絡があり、私が
弁護士会の会長をやっていると聞いて、正井先生もビックリ仰天だったよう
で、お互いに良い刺激になった感じ。

まあ、この正井先生、野球は全くの素人なので、当然ながら、技術や戦術面の
指導は一切出来ないワケで、専ら、精神論を中心とした人間指導がメインだっ
たはず。

で、技術や戦術面の「采配」は、野球経験のない素人監督に代わって、背番号
14を付けた3年生の宇佐美選手が振り続けていたのだという。

そして、0~9でリードされた9回裏、PL学園最後の攻撃。
ずっと采配を振り続けていたこの宇佐美選手に、なんと代打で突然「打席」が
回ってきたのだ!
この采配をしたのは、チームを引っ張ってきた主将の中川選手!

ホントに、ジーンとくる感動モンの采配だよねえ。

結果、宇佐美選手は凡打に終わったが、その間にランナーが1人生還し、待望
の1点を返したのだ。

終わってみれば、1~9という惨敗ではあったが、監督不在のまま、選手たち
だけで戦い続けてきた末の結果だけに、天晴れ!!という賛辞と拍手を送りた
い!!

それに、最後の1点が、采配を振り続けてきた宇佐美選手のバットでもぎ取っ
た1点だけに、実に感慨深いよねえ。

ところで、私は、昭和56年4月~62年3月にかけて、PL学園中学・高校
に在籍していた。

で、どういう世代だったかというと、桑田・清原が1つ上、立浪・片岡・野村
が1つ下という世代。

つまり、私の中高時代というのは、PL学園野球部が最も強かった時代なんだ
よねえ。

もちろん冗談だが、「阪神タイガースと対戦しても勝てるんじゃね?」なんて
言われていたが、それが冗談に聞こえないほど恐ろしく強かった。

ただ、そこまで強くなる理由もあった。
当時、野球部・剣道部・ゴルフ部というのは、いずれも全国レベルのクラブ
で、「体育コース」という特別クラス編制だったのだ。

授業時間は文部省が許すギリギリ最低限で、後は全て「練習」あるのみという
ハードシステム。
お陰で、野球部は7回の甲子園優勝、剣道部は男子・女子ともに11回ずつの
全国優勝、ゴルフ部は2回の全国優勝を誇るまでの強豪に成長した。

ちなみに、ゴルフの谷口徹はPL学園ゴルフ部出身で、桑田・清原と同期だ。

そんな隆盛を誇ったPL学園の「体育コース」だったが、いつ頃だったか、学
校の方針転換により完全に廃止されて、一般生徒と同様の扱いとなったのだ。
ゴルフ部に至っては、10年ほど前には廃部となってしまった。

つまり、ホントの意味で「普通の学校の野球部」となったPL学園野球部が、
監督不在のまま、強豪ひしめく大阪大会の決勝まで勝ち進んだという事実、こ
れだけでも、内情を知る人にとっては感動モンなんだよねえ。

PL学園というと、甲子園名物の「人文字」が有名だが、この人文字は、野球
部と応援部以外の一般生徒が、何日も練習してやるのだ。

当然、私も、中高時代は、ずっと甲子園の人文字をやり続けた。
下記のとおり、私の在学中は、毎年必ず甲子園には出場していたので、甲子園
に何度行ったか知れないほど。

中1(昭和56年) 春=優勝
中2(昭和57年) 春=優勝
中3(昭和58年) 夏=優勝
高1(昭和59年) 春=準優勝、夏=準優勝
高2(昭和60年) 春=ベスト4、夏=優勝
高3(昭和61年) 春=1回戦敗退

そして、卒業後の昭和62年、立浪らによって、春夏連覇が成し遂げられ、そ
れ以来、PL学園の甲子園での優勝は1度も無い。

今回、監督不在という逆境に打ち勝ち、もしも、甲子園に出場できたならば、
私も公務との折り合いがつく限り、応援に駆け付けたかったほどだ。
何しろ、恩師が「監督」でもあるしね。

まあ、結果はホントに残念だったけど、何だか、凄く爽やかな風を運んでくれ
た感じ。

公務で疲れた心には、最高の清涼剤だった。