沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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84)弁護士の公益性

 連チャンの投稿になるが、昨日のブログで「弁護士会費が高いのは公益活動のため」という趣旨のことを書いたところ、「公益活動って、例えば?」という質問を受けたので、忘れないうちに補足説明しておきたい。

 公益活動というのは、ざっくり言えば、当番弁護士制度(被疑者からの要請に応じて待機している当番弁護士が直ちに無料で面会に駆け付けるもの)や各種委員会活動など、ビジネス的視点では「無視」されてしまうであろうボランティア活動のことである。

 俗に「プロボノ活動」とも言われる。
 ウィキペディアによれば、「プロボノとはラテン語で『公共善のために』を意味するpro bono publicoの略で、最初は弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行うボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動を指した。」とのこと。
 英語に訳せば、for the public goodといった感じだろうか。

 委員会活動の例としては、無料法律相談(○○110番)や、市民向けシンポジウムの実施、各種社会問題に関する問題提起(メッセージの発信)などが挙げられる。

 現在では、日本司法支援センター(法テラス)が業務担当している民事法律扶助事業(収入の少ない方を対象とした弁護士費用の立替制度)や国選弁護人制度が無かった時代の刑事被疑者弁護活動なども、元々は、弁護士会が自らの会費収入を原資として自発的に公益活動として運営してきたものである。

 弁護士による地道な公益活動によって、ついには国家予算が投じられる国家制度にまで発展したのが、民事法律扶助事業や刑事被疑者弁護制度というワケなのである。

 では、弁護士が公益活動をするのは何故なのか。

 もちろん、高い社会問題意識を持つ者が多く、自らの自発的意欲によって公益活動を実践している者も多いはずだ。
 だが、公益活動は弁護士の「義務」なのである。

 弁護士には、2つの大きな義務があるとされている。
 1つは、「依頼者」に対する誠実義務であり、もう1つは、「公共」に対する奉仕義務である。

 依頼者に対する誠実義務というのは、ごくごく当たり前のことである。
 これは、弁護士に限らず、あらゆる士業、もっと言えば、全ての職業に要求される当然の義務である。

 だが、公共に対する奉仕義務というのは、ちょっと理解しにくい。
 むしろ、「義務?なんで?」と思った人の方がマトモである。

 弁護士も、言ってみれば、単なる民間の個人事業者に過ぎない。
 その点で、他の士業と何ら変わるところはない。

 それなのに、何故、弁護士だけに「公益性」が要求されるのか。
 ロースクールの学生に質問してみても、きっとうまく答えられないと思う。

 私も、弁護士になりたての頃は、公益活動をするのは当たり前で、「そんなもんなんだ。」としか感じていなかった。
 何故、公益活動をするのかなんて、考えたこともなかった…。

 答えは単純で、「司法に関わる」からである。

 このブログで、何度も言っているが、他の法律に関する士業は、すべて「行政補助職」である。
 この違いこそが、弁護士に「公益性」が要求される所以である。

 では、もっと分かりやすく説明しよう。

 国家権力の作用には3つある。立法・行政・司法である。
 法(ルール)を決定するのが立法、法(ルール)を実行するのが行政、そして、法(ルール)を適用(解釈・改変)するのが司法である。

 司法というのは、法(ルール)を杓子定規に当てはめて事件を解決するだけだと誤解されやすいが、法(ルール)を「あるべき姿」に解釈し、場合によっては、法(ルール)自体の「誤り」を指摘して、法(ルール)を改変するという強力な作用を有している。

 つまり、裁判所が生み出す新たな法(ルール)というのは、社会全体の公共財産として、国民の行動を規律するルールとなるのであって、広い意味での「権力創造機能」なのである。別の言い方をすれば、「価値規範の創造」という重大な権力作用が司法なのである。

 そのような国民の権利義務に大きく影響を与える「司法」に関与する弁護士は、司法に深く関与できる唯一の士業として「業務独占」という特権を国民から付与されているのだから、公共への奉仕義務を当然に果たすべし、というワケだ。

 もちろん、最終的にルールを創造するのは裁判官である。
 だが、裁判官は、弁護士の訴えが無ければ、何もできない。自ら事件を作ることもできなければ、政治的な意見表明もできない。
 言ってみれば、裁判官は、料理評論家なのであって、その料理が世の中に知れ渡るか否かは、弁護士という料理人の腕にかかっているのだ。

 近時、社会問題にまでなった「過払金バブル」も、ついに最高裁を動かすまでに至った弁護士の功績である。
 このことで、多くの消費者金融業者が倒産に追い込まれたが、多くの消費者が救われたことも事実であろう。

 経済界からは「やり過ぎ」との反発も大きかったし、事実、日本経済に与えた影響も大きかったに違いないが、良い悪いの判断はさておき、それだけのインパクトを与える「権力的作用」が司法なのである。

 一方、行政補助職である他の士業は、「あるルールを適正に実行する」のが使命である。
 弁護士が「あるべきルールを探求する」のを使命とすることと明確に対比される。

 この違いは、各士業の根拠法の「第1条」を比較すると分かりやすい。

(税理士法1条)
 税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそって、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。

(司法書士法1条)
 この法律は、司法書士の制度を定め、その業務の適正を図ることにより、登記、供託及び訴訟等に関する手続の適正かつ円滑な実施に資し、もつて国民の権利の保護に寄与することを目的とする。

(行政書士法1条)
 この法律は、行政書士の制度を定め、その業務の適正を図ることにより、行政に関する手続の円滑な実施に寄与し、あわせて、国民の利便に資することを目的とする。

(社会保険労務士法1条)
 この法律は、社会保険労務士の制度を定めて、その業務の適正を図り、もつて労働及び社会保険に関する法令の円滑な実施に寄与するとともに、事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上に資することを目的とする。

(弁護士法1条)
1 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」

 どうであろうか。

 他の士業は、全て「手続・法令の適正・円滑な実現」を使命とすることが分かる。
 つまり、法(ルール)を実行する行政作用が「適正・円滑に遂行」できるように専門的知見に基づいて行政を補助する仕事なのである。

 これに対して、弁護士が実現すべきは「社会正義」なのであって、既にある法(ルール)そのものではない。
 むしろ、法(ルール)の「あるべき姿」を探求して、「法律制度の改善」にまで漕ぎ着けることが、弁護士の職責として期待されているのである。

 近時の弁護士急増により、弁護士の質は変貌しつつある。
 それは、能力云々の話よりも、公益活動に無関心な弁護士が急増しているということである。

 まあ、「食えない弁護士」が急増してくれば、公益活動どころじゃないという気持ちも分からんではないが、公益活動は、弁護士の本質に関わる重要な要請なのであり、新人弁護士たちには、是非とも肝に銘じておいてもらいたい点だ。

 もしも、今度、私が勤務弁護士を採用するとしたら、このブログの内容を試験問題にしてみるかな(笑)。