沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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3)刑罰の本質(目的)

 平成21年5月21日、いよいよ裁判員制度がスタートする。もう間もなくだ。
 裁判員制度については、「違憲のデパート」などと批判されており、制度そのものが違憲だという訴訟も展開されるに違いない。もっとも、最高裁が制度を積極的に推進している以上、違憲判決は出るはずもなかろうが…。

 さて、私自身も、裁判員制度には多数の問題点があると思っている。
 裁判員裁判以外を選択する権利が被告人に与えられていないこと、自白事件であっても強制的に裁判員裁判になってしまうこと、裁判員が量刑判断までせねばならないこと、無罪判決に対しても検察側が控訴可能なこと、等々であるが、最も大きな問題点は、裁判員に量刑判断の負担を強いていることだ。

 もともと、裁判員制度は、「一般国民の健全な良識」を裁判制度に注入するのが目的である。
 確かに、事実認定だけに着目すれば、法律家と一般国民との間で能力に違いはなく、むしろ、一般国民の「健全な良識」に基づいた方が、より的確に真相を把握できる可能性は高い。「疑わしきは被告人の利益に」という大原則さえ裁判員が十分に理解すれば、事実認定を裁判員に委ねるのは妥当と言える。

 だが、量刑判断は別だ。量刑判断は、「健全な良識」だけでクリアーできる問題ではない。法的判断(論理)である以上、個々の人生観(感情)をそのまま反映させただけでは適切な結論は導き出せないのだ。刑罰の本質を十分に理解した上で下し得る実に専門的な法的判断であり、本来的に法律家の仕事だと言ってよい。3日しか事件を担当しない裁判員に的確な判断を期待するのは「無理」というものだ。おそらく、刑罰の本質(目的)を十分理解するだけでも3日では足りないであろう。
 我が国が、何故、事実認定=一般国民(陪審員)、量刑判断=法律家(裁判官)というアメリカのような陪審制を採用せずに、世界的にも類例を見ない新たな制度を創設したのか、どうしても理解できないところだ。

 では、刑罰の本質とは何か。本質とは、刑罰の存在意義(目的)である。
 単純化すれば、刑罰には3つの目的があり得る。
 1つ目は、「報復」(応報)である。被害者(社会)の犯人に対する「仕返し」であり、犯人に制裁を与えること自体が主眼だ。
 2つ目は、「威嚇」(一般予防)である。国家の社会(一般人)に対する「見せしめ」であり、一罰百戒で犯罪を予防するのが主眼だ。
 3つ目は、「教育」(特別予防)である。国家による犯人(特定人)の「しつけ」であり、犯人を矯正して(真人間にして)社会に戻すことで犯罪を予防するのが主眼だ。

 被害者(社会)の立場であれば、当然に「報復」を重視するであろう。つまり、人を殺したら必ず死刑だ、という発想に容易に結びつき、厳罰化が促進される。一般国民の感情は、この考え方に最も近いはずである。
 また、国家(検察)の立場からすれば、「威嚇」の側面がより強調される。厳罰を科すことによって犯罪を減少させ、社会秩序を安定させようという発想だ。場合によっては、「報復」以上に厳罰化が促進される可能性がある。
 一方、犯人(弁護人)の立場からすれば、「教育」の側面を最も重視して欲しいと思うであろう。つまり、「私は十分反省してます。もう二度と同じ過ちは犯しません。教育期間は短くても、私は真人間に生まれ変われます。裁判長、信じて下さい!」という具合だ。弁護人の最終弁論も、基本的にはこのパターンだ。
 教育の面を強調する限り、反省の姿勢が顕著であれば、量刑は軽くなりやすい。極論すれば、全く変わり得ない人間はいないので、死刑という刑罰自体が存在し得なくなるであろう。死ぬまでに矯正して真人間になれば、社会に返しても大丈夫だという発想になるからだ。

 刑罰の本質をどう理解するかは、刑法学において、長年論争が繰り広げられてきた難題であり、誰も明確な答えは出せていない。基本的には、3つの目的すべてを「総合判断」して最終的な量刑判断が下されているとしか言えない。
 このような難題を法律学の素人に判断させるのは酷というものだし、的確な判断は到底期待できないと思っている。
 素直な国民感情に委ねれば、必然的に厳罰化が促進されるだけであり、刑罰の持つ教育的側面は、どんどん軽視されてしまうであろう。
 裁判員制度の創設自体は賛同できる部分もあるが、制度設計自体はおかしな点だらけだ。早期に抜本的改正がされることを望むばかりだ。