沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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134)ガラパゴス化すべからず!

 今月4日、最高裁で画期的な判断が示された。
 婚外子の相続分を婚内子の「半分」と定めた民法の規定が「違憲」であるとの決定だ。

 現行民法900条4号は、「子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の2分の1とし……。」と規定する。

 嫡出子(ちゃくしゅつし)というのが婚内子(結婚している夫婦の間に生まれた子)で、そうでない子が婚外子だ。

 最高裁の裁判官は全員で15名。
 今回の決定は、審理参加を辞退した元法務省民事局長の裁判官を除き、14名の裁判官全員一致での判断とのこと。

 まあ、考えるまでもなく、本当に「ごくごく当たり前の常識的判断」と言える。

 生まれてくる子は、結婚している夫婦の間に生まれてくるかどうか、何ら選択権もなく、ましてや、自ら不都合を是正する術すらないからだ。

 だが、それでも、自民党の保守層には根強い反対論があるようだ。

 いわく、「夫婦一婦制や法律婚主義を危うくしかねない。不倫を助長する。」と。

 エッ?ホンマかいな?
 と突っ込まずにはいられない言い分だ。

 子の相続分を平等にしたら、何故、不倫が助長されるのか?
 将来の子の相続を期待して、資産家の男に「子作り」狙いで近づく女性が増えるということなのか?

 そんなバカな!
 
 何十年も先の相続だけを期待して不倫が助長されるなんて、バカバカしいにも程がある。
 それに、愛人やその子に財産を注ぎ込む方法なんていくらでもあるし。

 それよりも何よりも、親の勝手な不倫で振り回される子の立場を擁護すべきは当然だ。 

 自民党の保守層の意見というのは、単純に、外で愛人を作る男とその愛人自身に向けられた「嫌悪感」に由来しているんだろうな。
 と言うか、そのような「嫌悪感」を有する国民層(=自民党の票田)の反感を敢えて買いたくないということかね。

 さて、法律上の親子関係というのは、ちょいと分かりづらいので、整理しておこう。

 子には、実子と養子があり、実子は、嫡出子(婚内子)と非嫡出子(婚外子)とに分けられる。

 嫡出というのは、如何にも古めかしい用語だが、要は「正統」という意味だ。
 まあ、この用語からして、すでに十分「差別的」である。

 戦前の民法では、実子は、嫡出子・庶子・私生子に分けられていた。
 庶子というのは、婚外子のうち、父親の認知を受けている子で、私生子というのは、婚外子のうち、父親の認知を受けていない子だ。

 私生子に至っては、俗に「落胤」(らくいん)などとも呼ばれていた。
 直訳すれば、落とし胤(おとしだね)=落とし子ということだが、甚だしい差別用語だ。

 今では、庶子・私生子という用語は撤廃されているが、今でも、父親による「認知」は重要な法的意味を持つ。

 父親が認知をすることによって、初めて、父子の親子関係が生ずるので、父親が認知をしない限り、その父子は、法的には「親子ですらない」という話だ。

 親子でない以上、相続や扶養といった法的権利とも無縁である。

 よって、子として何らかの権利を行使しようとすれば、父親に認知してもらうことが大前提となる。

 父親が自発的に認知しない場合は、認知請求という形で裁判で決着をつけることになる。
 DNA鑑定などで父子の血縁関係が明らかとなれば子の勝訴となり、強制的に認知が成立するというワケだ。

 だが、認知されたとしても、非嫡出子である以上、これまでは、相続分が嫡出子の半分という不合理な差別的扱いを受けていたという話。

 では、非嫡出子が嫡出子に「昇格」する方法があるのか?

 現行法では、2つの制度が用意されている。

 1つは、準正という制度。
 認知した父と婚外子の母とが「結婚」することだ。

 民法789条1項は、「父が認知した子は、その父母の婚姻によって嫡出子の身分を取得する。」と規定している。

 もう1つは、養子縁組。
 認知した父が婚外子を「養子」にすることだ。

 民法809条は、「養子は、縁組の日から、養親の嫡出子の身分を取得する。」と規定している。

 ただ、いずれも、認知した父親の「協力」が必要なことであり、子だけの意思で実現できる話ではない。
 その意味で、嫡出子への「昇格」は、非嫡出子(婚外子)にとっては、大きな大きな壁なのである。

 つまり、子には、自由に嫡出子に昇格する術がないということ。
 その点で、今回の違憲判断は、差別的扱いを受け続けてきた婚外子に「当たり前の権利」を保障するものとして大いに歓迎すべきものなのである。 

 一方、今回の違憲判断の対象となった事件は、ある意味で、婚内子側にも同情すべき要素があったとも報道されている。

 本件では、妻子ある男性が不倫をし、婚外子が誕生した。
 その男性は、不倫女性との生活を選び、妻子を捨てて、不倫女性・婚外子と同居をし続けたというのだ。

 つまり、婚内子側からすれば、自分たちは家を追い出され、つらい思いをし続けた被害者だという思いが強く、せめて、相続分での「格差」くらいは認めて欲しいということ。

 だが、この事例で悪いのは、その男性であって、婚外子には何の責任もない。
 もっと言えば、その妻に全く非がなかったのか否かも定かではない。

 今回の男性がもっと悪賢ければ、不倫女性や婚外子に全財産を遺贈・相続させるとの遺言を作成していたかも知れないし、生前贈与してしまっていたかも知れない。

 そうなると、相続の規定云々の話ではなくなる。

 その妻や婚内子たちは、遺留分として「相続分の半分」しか受け取れないという結論になるのだ。

 遺留分(いりゅうぶん)というのは、兄弟姉妹以外の法定相続人に保障された最低限の相続分のことで、遺言によっても侵害できないもの。
 妻子の場合は、自身の法定相続分の「半分」ということになる。

 親の身勝手な行動で子が被害を受けるという事例は、枚挙にいとまがない。

 子が婚外子となる事情もいろいろである。

 したがって、一律に、何の責任もない婚外子の権利を「差別」する規定が未だに温存されていたこと自体が異常なのであって、日本人は、そのことを真摯に反省せねばならない。

 国民の多数派の意思を反映するのが国会(立法)であるならば、少数者の人権を擁護する最後の砦が裁判所(司法)である。

 その意味で、今回の違憲判断は、少数者である婚外子の人権を擁護し、司法の役割を全うできた好例だ。

 ただ、世界の流れからすれば、遅きに失したと言わざるを得ない。
 世界の趨勢から取り残され、国連からも差別規定撤廃を勧告されてきた経緯がある。

 ガラケイ(=ガラパゴス・ケイタイ)という言葉があるように、日本という国は、世界の流れから取り残されて、独自の文化を醸成してしまう傾向にあるようだ。

 だが、こと人権問題に関しては、決して「ガラパゴス化」してはならない。