沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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102)法の日に憲法を考える

今日(10月1日)は、「法の日」である。
毎年、憲法記念日と「法の日」には、全国各地の新聞で、弁護士会の名刺広告
が掲載されているのだが、おそらく、国民の大半が「法の日」の存在すら知ら
ないはず。
私も、弁護士になるまでは、全く知らなかったし…。

「法の日」というのは、1928年(昭和3年)10月1日に「陪審法」が施
行されたことを受けて、翌1929年から10月1日を「司法記念日」と定め
たことに由来する。
1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行され、新憲法の下で新
設された最高裁判所で初めて法廷が開かれた日も同年の10月1日であった。

そして、1959年(昭和34年)10月3日、裁判所・検察庁・弁護士会の
三者会議によって、10月1日を「法の日」と定めることの提唱が決議され、
翌1960年6月24日の閣議了解にて、「国民主権のもとに、国をあげて法
を尊重し、法によって基本的権利を擁護し、法によって社会秩序を確立する精
神を高揚するため『法の日』を創設する。」と定められたのだ。

と言うことで、「法の日」に相応しく、国家で最も大切な「憲法」について、
ちょいと考えてみたい。

何で、今さら憲法?という感もあろうが、実はタイムリーな話題であると思っ
ている。

先日の自民党総裁選で、安倍晋三氏が逆転で総裁の座に返り咲いたが、最近の
マスコミの偏向報道からすると、安倍氏が次期首相になる可能性は極めて高か
ろう。
安倍氏は、言わずと知れた、強硬な「憲法改正論者」である。
前回の首相辞任の悔しさもあろうから、次の首相就任が実現すれば、自身の存
在感を示そうと強行な政治手法に打って出る可能性すらある。
そして、最近の中国・韓国による過激な領土侵害問題が、国民の「憲法改正気
運」を高めることも大いにあり得るところ。

従って、国民としては、憲法が何たるかを事前にシッカリと学習しておき、万
が一にも「憲法改悪」という事態に陥ることだけは避けねばなるまい。

では、憲法とは一体何なのか?

憲法の定義自体はたくさんあるが、最も重要なのは「立憲主義」という視点で
ある。
立憲主義とは、「憲法によって権力の行使を拘束・制限し、統治機構の構成と
権限を定めて、国民の権利・自由の保障を図る原理」のことである。

立憲君主制という言葉があるように、多くの君主国では、憲法を定めて、君主
の権力行使を制限し、国民の権利を保障しようとしている。
つまり、君主が憲法を守らずに、国民の権利を不当に侵害しようとすれば、国
民は「革命」を起こして、君主の存在しない「共和国」を建設するぞ!と強く
迫っているワケだ。

つまり、憲法というのは、君主が暴走しないようにするための国民の「最後の
切り札」なのである。

まあ、建前上は、日本も天皇を君主とする立憲君主国であるが、象徴天皇制の
もとでは、天皇が権力を行使することは皆無なので、日本の場合、真に恐ろし
いのは政治家や官僚の暴走ということになろう。

ちょっと古い話だが、朝日新聞2007年10月6日の朝刊に、「鉄人28号
と憲法 立憲主義なき国、日本」と題した興味深い記事が載っていた。
専修大学教授(当時)の田村理氏の記事であったが、憲法というのは、鉄人2
8号(国家権力)の動きを制限・管理する「コントローラー」なのである!と
いう実に分かり易い指摘だ(例えは古いけどね)。

そう、憲法というのは、実にそういうものなのだ。

なるほど、日本国憲法には、こんな規定がある。

憲法99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を
尊重し擁護する義務を負う。

この規定に「国民」という文字は一切出てこない。
つまり、憲法は公権力サイドの人間が「守る」べきものなのであって、国民は
憲法を「守らせる」側なのだ。

この規定の「重み」を深く噛み締めて読んでいる日本国民が、どれほど存在す
るのであろうか。

ちょっと話は逸れるが、公法というのは、すべからく、国家権力の暴走を防い
で、国民の権利を保障するために存在するものだ。

例えば、刑法。
刑法は、国民に禁止事項を示して、国民に刑法を守る義務を課していると誤解
している人も多いことだろう。

しかし、刑法には「○○をしてはいけない。」との規定は存在しない。
例えば、刑法235条(窃盗)の規定の仕方は、こんな感じだ。

他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以
下の罰金に処する。

つまり、刑法は、誰に対して義務を課しているかというと、ズバリ「裁判官」
なのである。
裁判官が暴走して、窃盗事件の被告人に「死刑」を課すようなことがないよう
に「歯止め」を掛けているワケだ。

話を戻して、そんな「立憲主義」の観点を踏まえて、自民党の「憲法改正原
案」を読むと、何ともビックリする規定が出てくる。

上記の憲法99条が、こんな風に「改悪」されているのだ。

憲法99条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

えっ…………(絶句)。

おいおい、これじゃ、国民が憲法を「守る」側で、公権力が「守らせる」側と
いうことかいな!!

主従が、完全に「逆転」してしまっている…。
何とも恐ろしい話だ。

憲法改正論議というと、自衛隊の話ばかりがクローズアップされるが、実のと
ころ、そんな話は憲法の本質論ではない。

個人的には、自衛力を持たない独立国家なんてあり得ないし、平和を維持する
ために自衛軍の存在を憲法上明記した方がよほどマシだと思う。
現に存在する自衛隊をムリヤリ「軍隊ではないし、戦力でもない」なんてアホ
なことを言っている現状の解釈の方がどうかしているというものだ。

だが、憲法99条の「改悪」は、そんなレベルの話ではない。
まさに、憲法の本質を踏みにじる「改悪中の改悪」である。

こんな自民党提案の憲法「改悪」がスンナリ実現してしまうと、憲法は、国家
権力を封じ込める「コントローラー」では無くなってしまい、国民自身の重大
な「足枷」に化けてしまう。

我々国民としては、センセーショナルな自衛隊の話ばかりに気を奪われること
なく、憲法の憲法たる所以である「立憲主義」の精神を絶やさぬよう、理性を
以て、注意深く監視していかねばならない。