沈思雑考Blog

ソレイユ経営法律事務所の代表である弁護士・中小企業診断士
板垣謙太郎が日々いろいろと綴ってゆく雑記ブログです。

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69)値段のカラクリ

 4月の初め頃だったか、津駅構内に「吉野家」がオープンした。

 牛丼にもいろいろあるが、私は、学生時代から「吉野家」が一番のお気に入りで、当時は、毎週のように食べていたものだ。
 ただ、結婚してからは、わざわざ、牛丼を食べに出かけるという気にもなれず、牛丼自体を食べるチャンスもめっきり減ってしまっていた。

 と、そんなところに、吉野家のオープンである。しかも、津駅!
 津駅なら、裁判でも会務(弁護士会の用事)でも、しょっちゅう利用するので、昼時なら、是非とも牛丼を食べよう!などと思っていた。

 そして、先日、いよいよ昼時のタイミングに恵まれ、久しぶりの牛丼にありつくことができたのであった。
 年のせいか、学生時代の時に感じていた「至福の味」ではなかった気がするが(期待しすぎ?)、まあ、確かに美味かった。

 それはさておき、牛丼と言えば、時折、大手チェーンが一斉に「値下げ合戦」をやることで有名だが、そもそも、そんなに値下げばっかりやって、儲かるものなのだろうか。

 ということで、今回は「値段」について、ちょっと考えてみたい。

 まずは、「モノ」の値段。

 先日、「これでわかった!!値段のカラクリ」(金子哲雄著、集英社刊)という本を読んだところ、吉野家の牛丼の材料費は、並盛り1杯あたり137円なんだそうだ。
 それに、家賃・人件費など全ての経費を加算していくと、並盛り1杯380円における利益は、わずかに5円(!)とのこと。

 うん??
 と言うことは、牛丼の並盛りを6円値下げした時点で、もう既に「赤字」ではないか!!
 あの値下げ合戦は、赤字覚悟の「消耗合戦」に過ぎなかったのか!!

 と思った人もいるかも知れないが、いやいや、そういうことではない。

 牛丼1杯の利益が5円というのは、要するに、全ての経費を牛丼の販売実績で割った場合の牛丼1杯当たりの「結果的な利益」という話である。
 こういう考え方を「全部原価計算」と言うのだが、ちょっと難しい話なので、説明は割愛させて頂く。

 まあ、販売量が異なれば、自ずと1杯当たりの利益も異なってくるというわけで、普通に考えれば、値段を下げれば下げるほど、販売量はどんどん増加するはずである。
 つまり、牛丼を30円値下げしても、販売量がその分増加すれば、まだまだ利益が出る可能性は十分にあるということだ。

 このあたりの話は、経営における経費を「変動費」と「固定費」とに分けて考えると腑に落ちる。
 変動費というのは、売上に比例して増減する費用のことで、固定費というのは、売上に関係なく必ず発生する費用のことである。
 変動費の典型例が「材料費」であり、固定費の典型例が「家賃」や「人件費」である。

 変動費(≒直接原価)だけを原価と捉えて計算する考え方を「直接原価計算」と言うのだが、経営を考える上では、直接原価計算の考え方こそが重要であり、全部原価計算では経営実態が把握できない。
 制度会計における財務諸表は全部原価計算の考え方に依拠しているので、財務諸表を単純に読んだだけでは、経営の実態が見えてこないというわけだ。

 それはさておき、売価が変動費を割ってしまえば、文字通り「原価割れ」であり、当たり前だが、これでは商売にならない。
 売価から変動費を引いた金額が、いわゆる「粗利」というヤツで、会計用語では「限界利益」(=貢献利益)とも言う。

 商売である以上、「粗利を確保」するのは大前提だが、粗利をどの程度まで確保すべきかは、想定される「販売量」によって左右される難しい問題である。
 値段が高ければ販売量は少なくなるし、値段が低ければ販売量が多くなるので、そのバランス(さじ加減)が経営者の腕の見せどころなのだ。

 要するに、「モノ」の値段は、次の「掛け算」が決め手となる。

 想定粗利(限界利益) × 想定販売量

 つまり、粗利×販売量で以て、固定費を回収し尽くせば、ようやく経営は「黒字」となり、これこそが経営の至上命題でもある。

 そして、さらには「最大限の利益」を追求すべきなので、粗利×想定販売量が最大となるべき粗利と想定販売量の「組合せ」を探ることになる。

 吉野屋の場合、牛丼並盛り380円から材料費(変動費)137円を引いた243円というのが「粗利」であり、この範囲内でドンドン値下げして、うまい具合に販売数量が増加していけば、粗利×販売量の数値は増加し得る。

 要するに、粗利を半分にしても、販売量が2倍を超えれば、値下げした方がむしろ儲かるという理屈だ。

 牛丼各社は、一定期間だけ値下げをすることで、普段は来ない客を大幅に取り込むことによって「増益」に繋がると目論んでいるのだろう。
 そして、結果的に、この作戦が奏功しているからこそ、各社とも、値下げ合戦を繰り返し展開しているわけだ。

 この「値下げ戦略」で最も成功した例が、マクドナルドである。
 同じく「これでわかった!!値段のカラクリ」(金子哲雄著、集英社刊)によると、マクドナルドのハンバーガー1個の材料費(変動費)は44円とのこと。

 マクドナルドは、ある時、従前は210円(=粗利166円)で売っていたハンバーガーを一気に100円(=粗利56円)まで値下げしたわけだが、「粗利」で言うと、ちょうど3分の1にしたことになる。

 粗利が3分の1に減っても、3倍を超える販売量となれば「増益」となるのだから、マクドナルドは、3倍を超える大幅な売上アップが「十分に可能」と見込んだのだ。

 実際、100円バーガーは、なんと、210円バーガーの20倍(!)も売れたそうである。

 マクドナルドの原田CEOいわく、「10人から10円ずつもらうのではなく、100人から1円ずつもらうのが、うちのビジネスのあり方。」なんだそうだ。

 ちなみに、ハンバーガーを単品で買う人は珍しい。
 普通は、ポテトとドリンクもセットで買うはずで、このポテトとドリンクの「粗利」が、これまたバカでかいのだ。
 同じく「これでわかった!!値段のカラクリ」(金子哲雄著、集英社刊)によると、ポテト(Mサイズ)の売価は250円で材料費(包装紙代含む)は63円、ドリンク(Mサイズ)の売価は200円で材料費(容器代含む)は20円とのこと。
 なんと、ポテトの粗利は187円(!)、ドリンクの粗利は180円(!)である。
 210円時代のハンバーガー(=166円)よりも粗利がデカイのだから、ハンバーガーなんて、どんだけ値下げしても儲かる仕組みなのだ。
 
 まさに、マクドナルド「恐るべし…」である。

 次に、「ヒト」の値段。

 例えば、弁護士に法律相談を依頼する場合、「30分5000円」というのが一般的な相場だ。

 相談するだけなのに「高い!」と感じる人もいるだろうが、そのように感じるのは、そもそも「労働は元手がタダ」という「誤解」があるからだ。

 よく言われるように、日本人は、今でも「水とサービスはタダ」という思い込みが強いのかも知れない。

 では、労働の「元手」とは一体何なのだろうか。

 人に何らかの行為を依頼するということは、その人の「時間」を買っているということである。
 つまり、その時間、依頼された行為をすることによって、別の生産活動をしていれば得られたであろう「利益」を「犠牲」にしているということだ。

 これが、その人にとっての「労働の元手」である。

 この「犠牲となった利益」のことを「機会原価」(機会費用)という。
 機会原価とは、「意思決定において、ある選択枝(オプション)を採用したときに、採用しなかった選択枝についての得べかりし利益」のこと。
 法律の世界では、「逸失利益」という言い方もする。

 要するに、法律相談が「30分5000円」とされているのは、弁護士の機会原価を考慮した結果である(たぶん)。

 話を単純化すれば、年間2000万円の売上(年商)が見込める弁護士が年間2000時間働くとすれば、その弁護士の時給は1万円である。
 となると、その弁護士の機会原価は、ピッタリ「30分5000円」ということになる。

 また、どんな少額の事件でも、弁護士に事件処理を依頼した場合、着手金の最低額は10万円とされるのが一般的だ。

 これも理屈は同じである。
 100万円を請求する事件でも、1万円を請求する事件でも、それに要する手間は、ほとんど同じである。後者が前者の100分の1の手間で済むということはあり得ない。
 仮に、どんな少額事件でも最低10時間の手間を要すると想定すれば、着手金の最低額は10万円という設定になるわけだ。

 そして、請求額が高額になればなるほど、相手方は必死で争ってくるので、裁判は長期化し、自ずと事件処理に要する時間は長くなってしまう。
 だから、請求額の多寡に応じて、着手金の額も増減するという仕組みだ。

 要するに、「ヒト」の値段は、次の「割り算」が決め手となる。

 想定年収額 ÷ 想定労働時間
 
 想定される年収額は、人によってバラバラである。
 ゆえに、人によって値段もバラバラなのである。

 もちろん、2倍の弁護士費用を請求する人が、2倍「優秀」ということは断じて言えない。
 だが、2倍の弁護士費用を請求する人は、2倍「忙しい」(=売れっ子)ということは案外言えるのかも。
 まあ、逆(=仕事がない・金に困っている)の場合もあり得るが…。

 一方、想定される労働時間は、人によって大差ない。
 普通に考えれば、年間2000時間がMAXのはず。

 年間2500時間も働けば、間もなく「家庭崩壊」だろうし、
 年間3000時間も働けば、アッという間に「過労死」だ。

 理想を言えば、ヨーロッパのように年間1500時間に抑えたいところだが、日本社会では、なかなか実現し難い話か。

 いずれにせよ、「モノ」の販売量と違って、「ヒト」の労働時間は2倍・3倍というわけにはいかないため、「ヒト」の値段は、そうそう「値下げ」できないということだ。

 このあたりは、月給や年収が固定している給与生活者には分かりにくい感覚かも知れない。
 私自身も、経営者になるまでは、この感覚に乏しかったと言える。

 給与生活者でも、自分の時給くらいは把握しておくと、時間の浪費が本当にバカバカしく思えてくるかも知れない。

 そう言えば、司法試験受験時代、某予備校の名物講師が、「落ちる度に、毎年600万円を失っているんだぞ!」という話をよくしていたものだ。
 当時は、「カネ・カネと、いやらしいことを言うなあ…」などと思っていたが、その講師、本業は公認会計士で、会計学を教えていた先生だったので、まさに「機会原価」のことを言わんとしていたのだろう。文字通り、「時は金なり」ということだ。

 最後に、全くの余談だが、当時はバブル時代の真っ只中。
 その某予備校の司法試験講座の受講生とスチュワーデス講座の受講生とが頻繁に合コンしていたなんていう話も聞いた。
 私は、その某予備校には友人もいなかったので、合コンに参加する機会はなかったが、よくよく考えてみれば、受かってもいない者同士で、何やってんだかなあ…。彼ら・彼女らは、その後、無事に合格したのだろうか……。
 う~む、これも「浮かれた時代」のせいだったのか?